第3章 朝鮮農民社による農民共生組合運動
チョン・ヨンソ
1.農民の福利増進に取り組んだ天道教契
天道教〔<歴史の窓1>の訳注1を参照〕の前衛組織として活動した「天道教青年党」は1923年9月に創立された。天道教青年党は党組織や各部門の運動団体を整備しながら、社会のあらゆる分野で自らの構想を実現するために運動を展開した。農業部門では「朝鮮農民社」を、労働部門では「朝鮮労働社」を組織し、経済面における組織活動を強化していった。とりわけ朝鮮社会の最も中心的な構成要素と考えていたのが農業部門であり、そこでの活動に重点を置いた。当時の経済情勢において、最大の懸案事項が農村の疲弊だった。その主な原因は、農民自身の保守的で屈従的な態度、封建的な小作制度という農業における構造的問題、資本主義が農村経済に入り込んだことによる農民層の分解にある、と考え、幅広い視点で問題に取り組んだ。
特に天道教青年党は、朝鮮農民社に所属する農民たちによる「共生組合運動」と、天道教の信者を対象とする「共作契」〔契とは朝鮮独自の相互扶助組織。共作契は天道教の理想社会建設を、共同耕作、共同作業などを通じて実践するために組織された契〕による共同耕作に集中して取り組んだ。この2つの運動の対象層は異なるが、相互に密接に関連しており、天道教青年党が目指す、地域しておける農業協働化の中心的な基盤と位置づけた。すなわち、共生組合運動と共作契を基礎として、村ごとに「公営農場」を建設するという方針を具体化していったのである(1)。
こうした背景を前提にして、本稿では農民共生組合運動について考察する。天道教青年党は、この運動を通して、農民が急速に没落していく社会状況を緩和して現状を維持すると共に、その過程で農民たちを朝鮮農民社の枠組みに組織できると考えた。天道教青年党が朝鮮農民社を通じて農民の福利を増進させるという、当面の利益獲得の一環として展開した運動だった。さらに天道教青年党が直接統制できる直属機関へと朝鮮農民社を転換していく過程、そして生産・消費活動を共同組織にし、流通機関による中間搾取をなくして農民の生活を安定させるために取り組んだ共生組合運動について検討する。
2.天道教青年党の直属機関となった朝鮮農民社
朝鮮農民社は1925年10月29日に創立された。創立に主導的な役割を果たしたのは天道教青年党の中心幹部である、キム・ギジョン(김기전)、チョ・ギガン(조기간)らだった。彼らは1925年9月頃から、当時の社会各界の主要な人物たちと、朝鮮農民社の創立に向けて5 回の会合を開いた。主要な人物は以下の通りである。
ホン・ミョンヒ(홍명희)、アン・ジェホン(안재홍)、ソヌ・ジョン(선우전)、チェ・ウォンスン(최원순)、ハン・ウィゴン(한위건)、クッ・キヨル(국기열)、イ・ボンス(이봉수)、キム・ジュニョン(김준연)、ユ・グァンニョル(유광렬)、パク・チャニ(박찬희)、キム・ヒョンチョル(김현철)、イ・チャンフィ(이창휘)、チェ・ドゥソン(최두선)、ノ・ギジョン(노기정)、チャ・サンチャン(차상찬)、パク・サジク(박사직)、イ・ドナ(이돈화)、キム・ギョンテ(김경태)、イ・ソンファン(이성환)(2)。
そして10月29日にキム・ギジョン、チョ・ギガン両氏とソヌ・ジョン、イ・チャンフィ、パク・チャニ、キム・ジュニョン、ユ・グァンニョル、キム・ヒョンチョル、チェ・ドゥソン、イ・ソンファンの10人が出席して、朝鮮農民社の創立総会を開催した。創立総会で選出された中央理事は次の13人であった。イ・ソンファン(中央理事長)、キム・ギジョン、チョ・ギガン、イ・ドナ、パク・サジク、チェ・ドゥソン、ソヌ・ジョン、イ・チャンフィ、パク・チャニ、キム・ジュニョン、ユ・グァンニョル、キム・ヒョンチョル、キム・ギョンテ。さらに後日、ファン・ヨンファン(황영환)が補選で理事になった。
「朝鮮農民の教養と訓練」を目的として組織された朝鮮農民社は、最初に事業の一つとして月刊誌『朝鮮農民』の発行を決めた。年1円を負担する者を社友にして、機関紙を無料で配布することにした。本部を京城〔現在のソウル〕に置き、地方に支部と社友で構成される社友会を置いた(3)。
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