総論 試練のなかでも折れない協同組合の理想
キム・ソンボ
1.今、協同組合運動に注目する理由
協同組合への関心が社会のあちこちで広がっている。都会の消費者が生活協同組合の店舗に立ち寄り有機農産物を購入するのは、今や見慣れた風景だ。意気投合した若者たちがバラエティに富む斬新なネーミングで協同組合を設立し、素朴ながらも遠大な夢を育んでいる。官僚主義に染まっていた既存の協同組合も変化している。農民の頭上に君臨してきた農業協同組合は低姿勢で農民の声に徐々に耳を傾けるようになった。
では、韓国は既に協同組合の時代を迎えていると言ってもよいのだろうか(1)。2012年に協同組合基本法が発効してから2 年足らずの間に、ソウルだけで1,480組合、全国ではなんと5,600の協同組合が新たに設立されたという(2)。長く続いた高度経済成長のなかで人々は物質万能主義に毒され、社会の全構成員による、全構成員を対象とした闘争だけが残った社会、それが今日の韓国の自画像である。今や韓国社会はそうした極端から抜け出し、人間らしい、人が主人公となる社会を迎える準備ができているということだろうか。聞こえてくるのは決して希望のある話だけではない。新たに設立された協同組合の相当数が休業、あるいは廃業状態にあるという。協同組合の比重が若干増えたからといって、人より金が優位にある経済構造や社会文化が簡単に変わるわけではないからだ。
協同組合が社会を変えるという信頼は、単なる虚しい期待に過ぎないのだろうか。それとも協同組合はこの社会の巨大な転換の触媒になれるだろうか。どちらに転ぶか、今はまだわからない。未来は定まってはいない。ただ確実に言えるのは、今日の韓国社会がそのターニングポイントに来ているという事実だ。誰もが、もはや韓国経済が高度成長を続けることはできないことを知っている。韓国人ならばこの社会が末期がんの段階に到達したと表現できるほど、内なる病にかかっていることを直感的に知っている。政界はそれを知りつつも目前の権力争いに汲々として毒舌を吐き合い、根本的な処方を無視している現実がある。
協同組合は重体に陥った韓国社会が探し当てた一つの治療薬だ。この治療薬はすぐに効果が現れるものではない。その代わりにこの薬はゆっくりと患者の力を回復させ、自らがんを治していく内なる力を育んでいく。この治療薬は新しく開発された特許品ではない。世界初の近代的協同組合といえる英国のロッチデール公正先駆者組合が設立されたのは1844年、つまり今から175年前である。このように協同組合は長い歴史を持っているが、一度も社会の中心に立ったことのない「懐かしい未来」だ。今や資本主義の弊害は世界で極限に達していて、これを牽制してきた現実社会主義も崩壊して孤立が深まるなか、協同組合は大きくいえば一つの代案として、小さくも一つの補完財として注目されている。
協同組合は「1人1票」に基づく「人々の結社体」であり、その中核となる価値は自律性と民主的な運営である。協同組合は「国家」と「市場」が支配する社会において、自律的かつ民主的な人々の自立と連帯を可能にする代案的空間として存続してきた。協同組合は、協同、自立、連帯を指向する「社会的連帯経済」の古くからある実践の一つだ。協同組合と社会的連帯経済は物質万能主義という病に苦しむ社会において光と塩の役割を果たすことができ、さらにはその社会の体質を根本的に刷新できる内的動力となることができる。
2巻からなる『韓国協同組合運動100年史』は、朝鮮半島における様々な試練のなかで鍛えられてきた協同組合の物語だ。第1巻では韓国協同組合運動の前半部にあたる1919年から1970年代までを主に記述している。3.1独立運動で目覚めた民衆と先駆者は多様な形で協同組合運動を展開したが、日帝〔日本帝国主義による植民地支配〕末期の統制、1945年の解放後の分断と左右対立、そして朝鮮戦争〔1950年開戦、53年休戦〕によって大きな傷を負った。しかし、休戦後の廃墟のなかで協同組合運動は再びよみがえった。1960年代に朴正煕(박정희)政権が協同組合を一方では統制し、一方では育成して政府の政策を実行するための道具へと転落させる過程でも、民間の自律的な協同組合運動は色々な地域に根を下ろしながら、信用協同組合運動などで全国に広がっていった。
(続きは本書をお買い求めください)