生活クラブグループ
市民セクター政策機構

市民セクター政策機構 市民セクター政策機構は、生活クラブグループのシンクタンクとして、市民を主体とする社会システムづくりに寄与します。

論文(瀧 大知)

【2024年7月】相模原市・人権条例の「知的不誠実さ」または「答申」という希望

2024年3月19日、神奈川県・相模原市議会(本会議)にて「相模原市人権尊重のまちづくり条例」が成立した。ただし本条例は差別と闘ってきた市民や被差別当事者から「反対」の怒号が飛ばされる中での成立という、いわば「いわくつきの」ものとなった。
 相模原でのヘイトスピーチ規制条例に反対してきたある右派系のアカウントは、抗議の一部を「奇声」とXに書いた。

この表現には暴力/差別性を感じざるを得ない。議場には多様な「声」が響いていたからである。

当日の状況を伝えた神奈川新聞の記事は、傍聴席にいた重度障害者の「声」を紹介した。「声にならない声を上げた。『「やまゆり園事件はどうした」「何も分かっていない」と言ったんだ』。悔しさと怒りでこみ上げた声は、叫びとなった」(注1)。
 なぜ人権を守るための条例がそれを望むはずの人びとから批判されたのか。背景には相模原市による審議会「答申」の無視があった。

人権条例検討の契機と画期的な「答申」


 2019年6月19日、川崎市が市議会にて国内初のヘイトスピーチに刑事規制を課した条例の制定を発表した(同年12月成立)。同月28日の定例会見で相模原市の本村賢太郎市長は、「川崎並み」の条例を目指すと明言した。2020年1月には市長の諮問を受けた「人権施策審議会」で条例に関する検討が開始された。
 この契機には2019年の相模原市議会議員選挙(統一地方選)に排外主義団体「日本第一党」が候補者を擁立し、市内で差別的な街宣を繰り返したことがあった。党首が「〇〇人を叩き出せ」と「演説」する様子はNHK「おはよう日本」(同年6月12日)で放送された。以降、相模原では複数の差別的な団体の活動が散見されるようになった。合わせて審議会では、相模原市で起きた「津久井やまゆり園事件」も議論の重要事項とされた。同事件は2016年7月26日に知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った戦後最悪のヘイトクライムであった。
 そして2023年3月23日、審議会は条例に盛り込むべき内容を提起した「答申」を市長に手渡した。これは次のポイントを含む画期的なものであった。
①「津久井やまゆり園事件」を「ヘイトクライム」(差別的動機に基づく犯罪)と位置づけ、前文にそれに対する非難を明記すること。
②悪質な差別的言動を禁止し、勧告、命令を経ても止めない場合、氏名を公表し、秩序罰(過料)又は行政刑罰(罰金等)を科すこと。
③②の事由を人種、民族、国籍、障害、性的指向、性自認、出身とすること。
④差別事案が発生した場合、市長は速やかに非難声明を出すこと。
⑤一定の独立性を有する専門的な第三者機関として「相模原市人権委員会」を設置し、被害者救済のための調査や説示のほか、行政に対するチェック機能を持たせること。
 提出後の会見で審議会の矢嶋里絵会長は「優生思想、差別思想を広めた国や自治体の責任は国連からも問われている。施設があった相模原市が差別禁止条例をつくることは国際的にも高い意義がある」と語った。工藤定次副会長(当時)は「国際的にも評価される」とし、金子匡良委員(憲法学)は「他の自治体や国のモデルになる」と述べた(注2)。本村市長は「相模原市らしい画期的な答申」「(ヘイトスピーチ規制の対象を障害者や性的マイノリティにも拡大したことに)私の意向を受けて審議会が答申を出してくれた」「時代の流れ、時代の要請だ」「その流れを止めることはできないと思う」と話した(注3)。

「答申」の無視、あるいは骨抜き


 だが、市長の言葉と実際の行為は真逆であった。2023年11月17日、相模原市は市議会(全員協議会)で「答申」と全く異なる条例案の「骨子」を公表した。前文では「津久井やまゆり園事件」を「ヘイトクライム」はおろか「差別」とも表記しなかった。ヘイトスピーチの禁止対象は「本邦外出身者」のみ、罰則規制もなくなった。「人権委員会」は実質的な独立性を担保する様々な権能が削除され、一般的な審査会程度の機関となった。
 これをみた市民/団体や専門家は「答申を骨抜きにした」と非難、抜本的な修正が求められた。同年12月~2024年1月に市が募集したパブリックコメントも批判的意見が大半であった。2024年2月29日には答申提出時の審議会委員(有志)が市に「何の説明もなく私たちの中心的な主張となる答申の根幹部分を完全に無視したことに、失望を禁じ得ません」と記載した公開質問状(市長宛)を提出するという、異例の事態も起きた。その後、相模原市からの「回答」が「実質的な回答拒否」といえる内容であったことから「知的誠実さに欠ける残念なもの」「3年余りの間、相模原市のために知恵を絞り、議論を重ねてきたが、その努力が結果的に徒労に終わったことを大変遺憾に思う」とのコメントを出し、矢嶋会長と金子委員が辞任届を出した。
 結局、前文の「やまゆり園事件」の記述を変更した以外は修正されずに条例は成立した。

相模原市が撒いた「害悪」の種


 相模原市が強い批判を浴びたのは「答申」を無視したことはもちろん、それを「問題なし」とした認識に問題があったからである。これは広く日本社会の人権施策にある種の「害悪」を振り撒くものであった。
 一つが「立法事実」の問題である。審議会では「津久井やまゆり園事件」は障害者に対するヘイトスピーチ規制の「立法事実」と確認していたが、市は禁止対象にもしなかった。相模原市は事件がデモや街宣のような公共の場所での行為ではないから「立法事実にならない」とした。この見解にヘイトスピーチ/クライム法に詳しい奈須祐治教授(西南学院大学/憲法学)は「よほどの立法事実がなければ規制はできないという言説が当たり前になり、他の自治体が条例制定に向かわなくなってしまう」と懸念、「このような条例はつくらない方がいい」と指摘した(注4)。
 次に「答申」で想定された「人権委員会」は、主体的に市長に意見が可能な仕組みであった。しかし市側は「市長の付属機関」であることを理由に、人権委員会の主体/独立性に関わる部分を取り除いた。これはミスリードである。著名な行政法学者の武田真一郎教授(成蹊大学)は「市長の付属機関だから諮問がないと行動できないというのは間違い。法令で付属機関の活動を制限する規定は一切なく、地方自治法には違反しないから条例で自由に決められる」と相模原市の言い分を否定した(注5)。
 加えて、市は審議会から「答申」を受けた後、行政法学者3人と顧問弁護士にヒアリングを実施した。その意見も参考に条例案を作成したという。ところが新聞報道により当該行政法学者の1人であった嘉藤亮教授(神奈川大学)は、特に「人権委員会」は「法的に問題ない」と回答していたことが明らかとなった(注6)。市は審議会だけでなく、外部専門家の意見も聞き入れなかった。また、市民団体「反差別相模原市民ネットワーク」が入手した資料をみると、対象の顧問弁護士は差別事件の判例や人権施策を十分に理解しているとはいい難い人物であり、人選の適切性にも強い疑問が残る。

地方自治体の条例制定に向けた規範モデルとして


 相模原の人権施策審議会は法学者(憲法/行政法)や社会学者+人権問題に関わる専門家から構成され、理論的かつ各自治体の施策も参考に、実現可能性を見据えて「答申」を練り上げた。神奈川大学の山崎公士名誉教授(国際人権法)が「現状を踏まえながら(中略)燦然と輝くものを生み出した」と称賛したのはそのためである(注7)。2021年9月の審議会ではヘイトスピーチ問題の知見を有する識者(弁護士と憲法学者)を招致、ヒアリングも行っていた。
 これらの経緯を考えると、そもそも何故新たなヒアリングをしたのか。まして、それをして「答申」を骨抜きにしたばかりか、当該専門家が「出来る」と意見したことも反映しなかった。本村市長は条例成立後に「答申が出たら、ボールは私たち市の側にある」と、その対応に問題はないといった(注8)。だから「答申の根幹部分を完全に無視」して良いのならば、(人権施策に限らず)「審議会」の存在意義はない。これも相模原市が撒いた「害悪」である。辞任表明をした審議委員の言葉はこれを物語っている(注9)。
 「研究者としての良心に従い、任務を果たしてきたが、審議会は本村市長から『最大限の尊重』どころか極めて不誠実な扱いを受けた。任務を継続することは自身の信念に反する」(矢嶋会長)。
 「一研究者として私なりの知見を提示してきたが、市にとって無用のものであると分かった以上、委員を継続することは適切ではないと考えた。このような判断は研究者としての良心であり、ささやかな矜持でもある」(金子委員)。
 「答申」の条例化は可能であった。実現しなかった一因には相模原市が「知的誠実さに欠け」、専門家(知)を軽視したことがある。
 2024年4月20日、各地の首長―自治体議員―市民を中心に運営されている「LIN-Net(Local Initiative Network)」のイベントでは「答申」が今後の反差別/人権条例の指標となること、どのように自治体の施策や運動で活かしていくかを検討する分科会が開かれた(筆者も報告者として参加)。翌21日には「反差別相模原市民ネットワーク」が奈須教授を招き、集会「相模原市は何を捨て去り、失ったのか―改めて人権施策審議会『答申』の意義を問う―」を開催した。チラシには「審議会『答申』の価値は損なわれていません。相模原市の冒涜的な行為とは別に『答申』は他地域でも活かせるものあり、広げて欲しい」と書かれていた。
 規範モデルとしての「答申」の意義は失われていない。今後の条例制定及び運動の「希望」になり得るのである。

(注1) 神奈川新聞「『こんな条例ない方が』 相模原市人権条例成立 当事者不在、市民ら絶望」(2024年3月20日)
(注2) 神奈川新聞「人権条例答申『他自治体のモデルに』 相模原の委員ら期待」(2023年3月23日)
(注3) 神奈川新聞「『相模原モデル』はなぜ必要か(下)世界標準、日本に示す」(2023年4月2日)
(注4) 神奈川新聞「相模原市人権条例『つくらない方がいい』 憲法学者が悪影響懸念」(2023年12月8日)
(注5) 毎日新聞「『ヘイト罰則なし』どう判断? 相模原市人権条例案骨子 意見公募、きょうまで/神奈川」(2024年1月9日)
(注6) 神奈川新聞「相模原市人権条例案骨子 答申、法的に問題ない 神大法学部教授・嘉藤氏」(2023年12月19日)
(注7) 弁護士ドットコムニュース「津久井やまゆり園事件が起きた相模原市、骨抜き『人権条例案』に批判の声」(2023年12月22日)
(注8) 神奈川新聞「相模原市、人権施策審議会の会長らが辞任 条例案巡る『回答拒否』に失望」(2024年3月18日)
(注9) 朝日新聞「相模原人権条例、答申出たらボールは市側に 市長『対応に問題ない』」(2024年3月22日)