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③なぜいま、「琉球独立論」なのか(龍谷大学教授 
松島泰勝)

【発売中】季刊『社会運動』2022年10月発行【448号】特集:青い海と沖縄 -未来を考える

―なぜいま「琉球独立論」なのですか。その歴史的な根拠を教えてください。

  

 琉球はもともと独立国で、その歴史はおよそ600年にも及びます。


 14世紀のはじめ、沖縄島(沖縄本島)には、北山国、中山国、南山国という三つの国ができ、それぞれが当時の中国王朝だった明と外交・交易関係を結ぶようになりました。この時代を「三山時代」と呼びます。そのうち、中山の尚巴志が勢力を拡大して、1429年に琉球を統一しました。首里城を王都とする、初代の琉球国王になったのです。以後、琉球の勢力は、奄美群島から、八重山、与那国にまで及びました。


 1609年に、琉球は島津藩の軍事侵略を受けました。奄美諸島は島津藩の直轄領にされましたが、それでも琉球の国としての体制は維持されました。島津藩に年貢を納めさせられましたが、内政権、外交権を持ち、清(当時の中国王朝)をはじめとする諸外国と外交・交易を続けていたのです。


 当時の琉球は、欧米の大国からも独立国として認められていました。1850年代には、米国、オランダ、フランスとも正式な修好条約を結んでいます。
ところが1879年に、明治政府が軍隊と警察という武力を行使して、琉球国を消滅させました。最後の国王となった尚泰は、首里城を退居させられ、東京に強制連行されて、琉球国は沖縄県になったのです。


 重要なのは、独立国だった琉球が、日本の軍事的侵略によって「植民地」として併合されたという事実です。そして現在も、琉球は日本の植民地です。それを示しているのが、日本政府によって押し付けられた広大な米軍基地の存在であり、民意を無視した辺野古新米軍基地建設の強行なのです。

―教科書では「琉球併合」ではなく「琉球処分」という言葉を使っていますが。

 

 「処分」という言葉は、明治政府が琉球の問題を正して沖縄県にした、というニュアンスで、支配者にとって都合の良いストーリーが刻まれた言葉だと思います。


しかし、1910年に韓国または朝鮮半島を日本に併合したように、琉球という一つの王朝・王国を滅ぼして、植民地にしたのが事実です。

 
 「併合」後、日本政府が最初に行ったのは、琉球の言葉(琉球諸語)を廃止して、日本語を正当な国語として教えることでした。そう、植民地下の朝鮮や台湾でしたのと同じようにです。琉球諸語を話すと差別や処罰の対象になり、琉球諸語を話した生徒には「方言札」を首からかけ、見せしめにすることも行われました。


 現在では国連機関のユネスコも、「琉球諸語は、日本語の方言ではなく、独自の言語である」と認めています。そして、研究者だけでなく、一般の琉球人も、地元の新聞も「琉球併合」という言葉を使うようになりました。

(P.102-P.103 記事抜粋)

 

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