1.憲法九条の「限界」を考える(東京外国語大学教授 伊勢﨑賢治)
―伊勢﨑さんの「新九条論」とは、どのような提案ですか。
『週刊通販生活』(カタログハウスの公式通販サイト)に「護憲派の側からこそ、戦争をさせないための改憲案を。これが私の考える『新9条案』です。」というタイトルで、インタ
ビュー記事が掲載され、次のように提案しています(注5)。
「9条 日本国民は、国連憲章を基調とする集団安全保障(グローバル・コモンズ)を誠実に希求する。
(2)前項の行動において想定される国際紛争の解決にあたっては、その手段として、一切の武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する。
(3)自衛の権利は、国連憲章( 51条)の規定に限定し、個別的自衛権のみを行使し、集団的自衛権は行使しない。
(4)前項の個別的自衛権を行使するため、陸海空の自衛戦力を保持し、民主主義体制下で行動する軍事組織にあるべき厳格な特別法によってこれを構成する。個別的自衛権の行使
は、日本の施政下の領域に限定する。」
私の真意については、自著『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版社、2015年)で次のように書きました。
「9条はこれまで、アメリカの戦争のお付き合いをさせない、したとしても最小限の負担にする『ブレーキ』として、見事にその機能を果たしてきました。しかし、越えてはいけない最
後の垣根であった集団的自衛権が名目上でも容認されてしまった以上、そのブレーキがこれまでどおり働くとも思えません。
70年前にできた9条を、激動する現代と近未来に「進化」させる時期が来たのではないのでしょうか。戦争するアメリカを体内に置きながら『戦後70年間、日本は戦争をしてこなかった』という幻想を抱くのは止めにしませんか。アメリカに今すぐ出て行けとは言わな
いまでも、少なくとも『在日米軍基地は絶対に他国への攻撃には使わない』とする日米地位協定の『正常化』をアメリカに突きつけること。そして、
◦国民がみずからの生存にかかわる安全確保の業務を国内の特定の集団に託する
◦民主主義がその社会で最も殺傷能力のある武器の独占をその集団に託する
以上を国民の大半が認めるならば、自衛隊の存在を民主主義の法体系の中でしっかり位置付ける時が来ているのではないでしょうか」(220〜221頁)
冷静に考えれば、「憲法を変えるべきか、変えないべきか」という議論の前提がおかしいはずなのです。護憲派は今、「安倍政権の中では憲法を変えない」と言います。でも安倍政権だけが問題なのでしょうか。安倍政権であろうとなかろうと、自衛隊の存在は残ったままです。憲法に違反して自衛隊を海外派遣している以上、「事件」が起こる可能性はあります。我々がすべき事は、自衛隊の法的な地位をちゃんと位置づけることです。これまでは、憲法上、日本に「軍隊」は存在していないことになっていますが、もはやそこから逃げることはできない状況に我々はいるのです。