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市民セクター政策機構

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コラム④「市場」
日本復帰とアーケードとの関係性(流通科学大学専任講師 新 雅史)

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 那覇市の繁華街である国際通りの牧志エリアから壺屋方面に向けて、アーケードの商店街が網の目のようにひろがる。そのエリアを那覇市民は、「マチグヮー」と呼んでいる。マチグヮーとは沖縄のことばで「市場」を意味する。このエリアの中心に第一牧志公設市場があり、それを囲むように小さな商店が並んでいる。商店はオープンすると、店から商品を引っ張り出して通りに陳列するから、日中は通りと店舗の境界がわからない。それが夕刻を過ぎると、店頭の商品はわずかな時間で片づけられて、通りの広さが確認できるようになる。そのありようは、商店街というよりも、日々市が立っているようだ。アーケードも市にふさわしく乳白色の天幕によって覆われている。エリア全体が「マチグヮー」と呼ばれる由縁である。


 この商店が密集する状況は、観光という点では沖縄の資源と言える。だが、その状況は、ある時期まで、戦後沖縄の都市構造と産業構造の歪みを象徴していた。というのも、那覇のマチグヮーは、戦後の混乱期のなかで形成されたバラック街という扱いであったし、米軍基地の存在によって小売業やサービス業に頼るほかない産業構造の歪みの顕れと見なされたからだ。


 米軍基地と産業構造の関係性については説明が必要だろう。戦後の沖縄は、米軍基地が存在することで大量のドルが流入したが、それは沖縄経済の自立化に働かなかった。というのも、米軍は基地の運営コストを抑えるべく、安価な物資を沖縄に大量に輸入させたため、県内の製造業の発展が阻害されたからである。かくして、米軍から流入した大量のドルは、沖縄のなかで循環せずに域外に流出した。そして、安価な物資が最も流通している場所が那覇のマチグヮーだったのだ。

(P.34-P.35 記事抜粋)

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