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■【ご案内】季刊『社会運動』442号にインタビュー掲載
 桜井智恵子さんの新著
『教育は社会をどう変えたのか――個人化をもたらすリベラリズムの暴力』のご紹介

桜井智恵子さん(関西学院大学教授)は、季刊『社会運動』442号(2021年4月発売)「自立を強いる資本制社会に対抗する協同組合運動」のインタビュー記事で、「自立」を強いる資本制社会のメカニズムを分析し、えてして協同組合もそれに回収される危険性があることを指摘しました。

しかし協同組合はそもそも「共同性」という、資本制に対抗する価値があり、その可能性について様々な人や場で議論していこうと語ってくださいました。

桜井さんがこのたび上梓された著書をご紹介します。「自立」「個人化」「自己責任」などの淵源を、経済社会状況、教育の歴史、思想からより深く理解する一冊です。

 

桜井智恵子 著
『教育は社会をどう変えたのか――個人化をもたらすリベラリズムの暴力』

明石書店2021年9月刊。本体2,500円+税

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著者のご厚意を得て、内容の一部をご紹介します。

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■本書について

 ゆっくりと過ごすことを真剣に考えると、財の配分や、それを支える知の配分の不条理、個人で働いて生活をまかなうというリベラリズム、その暴力を考えざるを得なくなる。カール・ポランニーが言うように、市場社会の実現とは人間社会の本性に逆らうプロセスであり、それを定着させるためには暴力の動員が必要なのだ。本書では、個人化を行う権力としてのリベラリズムを成立させた教育や福祉領域に分け入っていく。それらが規律権力論の生成の場として機能し、リベラリズムの系譜としてあることを見てゆきたい。

 経済産業部門に直結する学校システムは、日本資本主義の特徴でもある。「機会の平等と能力主義」の結合体が、この日本資本主義の体制を維持してきたのである。子どもの問題は経済の問題でもあり「支援」を超えて政治経済的構造や現代史を理解することが、これからの私たちにとってとりわけ重要だ。そのため、本書は、教職員や保護者、研究者、福祉関係者だけでなく、市民やメディアや政治に関わる方々にも読んでほしい。

 個人化によって、従属的な地位の私たちが国民国家の主体となり、リベラリズムのなかで生きる。フーコーの「統治制」はリベラリズムに適用される言葉である。人々を生権力に駆り立て、生を保障する場をつくり、統治する。たとえば「自立支援」や「個別最適化」もその場をつくって統治が機能している。

 フーコーは「市民社会の領域とは生政治の領域であり、経済の動態や発展を妨害することなく社会の分裂と破壊を防ぐことこそ・・・・・・統治の基本的な役割」だと言う。貧困問題は分配の工夫だけでは解決できない。私たちが、現在の体制の価値観を追認し、支配層と共有している限り、自分を統治する自発的搾取を通して、内外に抑圧をつくるだけだからである。

 各章冒頭では、未来に向けて重要な社会思想家たちの言葉を主に紹介している。マルクス由来のナンシー・フレイザーやデヴィッド・グレーバーなどの理論エッセンスを知ることによって、現代の状況がとてもよく見える。

 第1部では子どもと大人社会の現在を概観し、第2部からはより詳しい論文の形で説明していく。現在の私たちのふるまいはどのようにつくられてきたのか、経済史ともいうべき現代教育史を読み解きつつ整理する。第3部では、能力が個に還元される個人化の諸相について掴み、所得配分が正当化されているしくみをとらえる。第4部では、資本と教育の親密さについて理解しよう。終章では、より詳しくフーコーの理論について見取り図を示している。

 本書は、新自由主義の親であるリベラリズムが私たちの日常をいかに形作り統治を仕掛けているかを取り上げる。そして、子ども・若者や市民社会の原理を把握し、個人化の理論と歴史化を参考に、別の世界への展望を考察する。

 

(桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか』「序章 リベラリズムの暴力」p25~27)

 

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「終章 希望のありか」では生活クラブ生協についてもご紹介いただいています。