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論文(崔 珉竟(チェ・ミンギョン))

【2023年1月】韓国の社会的経済と政治3.「『共に民主党』敗北、地域政治を再生する道」

「共に民主党」の敗北後、社会的経済を否定する新大統領と新首長

 

 2022年度の地方自治選挙の結果、各地で自治体首長が交代した。以来、新市長の公約に合わせて政策と予算化が実施されつつあり、前任者の痕跡を消すことが目立つようになった。

 ここで自治体の変化について解説する前に、尹鍚悦大統領の下で、「市民社会活性化と公益活動増進に関する規定」を廃止する手続きに入ったことをお伝えしたい。この規定は、「政府が市民団体を支援して市民社会を活性化する」という目的で、文在寅政権時の2020年5月に施行された。この4条によると、関係する中央行政機関は市民社会委員会の審議を経て、市民社会活性化のための施行計画を策定し実行しなければならず、地方自治体も条例を制定して施行計画を作ってきた。この規定がなくなれば、政府の支援事業に依存して活動している多くの市民団体が影響を受けることになるだろう。特にマウル共同体(注1)運動や障害者の自立と自活を助ける各地域団体などが深刻な状況に置かれることになるだろう。さらに深刻な問題は、市民団体の存続に影響を与えかねない、この規定の廃止を政府が非公開で強行しようとしているということだ。

 自治体レベルでは、市民参加のための事業において全国の自治体を牽引してきたソウル市の変化が、全国に多大な影響を与えるだろう。ソウル市では、朴元淳前市長の重点事業だった「ソウル市マウル共同体総合支援センター」事業が中止される。このセンターは2012年、マウル共同体事業を効果的に推進するために設立されたソウル市の中間支援組織であり、マウル・自治政策研究、広報、教育、各自治区に設置されたマウル共同体支援センター支援などを主管してきた。

 ところが、2021年に就任した呉世勲ソウル市長は、「ソウル市立て直し」を唱えてマウル共同体事業に対する大々的な監査を推進し、不公正・特恵・非効率であったと指摘してマウル共同体総合支援センター事業の終了を決めた。また、社会的経済支援センターについても条例を改正して事業を中止しようとする動きがある。ソウル市におけるこうした方針は全国の自治体にも影響を与え、当該事業の縮小と支援センターの廃止につながることが確実に予想される。実際、私の住む城南市でも、マウル共同体支援センターの既存職員が契約終了となり、採用面接をしても適格者なしとなった。さらに、2023年度の社会的経済に対する主要事業の予算削減も進められている。

 

城南市の新たな地方自治を模索する修練会

 

 城南市の新市長は、いまだに「前市長が不当に行使した市政活動を暴く」ことに汲々としており、市民に向けた市政をまともに実行せずにいる。市議会も市長派の与党が多数のため、市の行政担当者たちは共に民主党市議の提案や要求については極めて消極的なふりをしている状況だ。また、市民社会団体も自分たちの政策と予算確保のため、役所詣でに余念がないところが増えている。

 それでも他方、「共に民主党が選挙で負けたからといって、なぜ城南市民が敗者にならなければならないのか」という問題意識を持った市民が登場し、ある集会が企画された。その目的は、城南市の市民社会団体は2022年6月1日の地方選挙に向けて様々な意見を集約し、政策提案を行っていたのだが、選挙後の現在、その内容について評価しながら、城南市における地方自治の現実を診断し、新しい活路を模索することだった。そのスタートとして、8月26日〜28日に「城南市民社会活動家・修練会」を開催した。修練会は、城南民主化運動事業会が主管し、地域の市民団体(協同組合、労働組合、環境団体、教育団体、民主化運動事業会、女性団体、歴史団体など)から活動家40人が参加した。修練会では「城南の地方自治再生方案」を主題にして、地域社会で長らく環境運動を主導してきたハ·ドングン板橋環境生態学習院院長が発題を引き受け、参加者が討論した。

 そもそも修練会を開催するに至った問題意識としては、今回の大統領選挙と地方選挙の結果を通じて大きく三つの問題が浮かび上がったことがある。

 第一の問題は、巨大な二大政党(共に民主党、国民の力)による地方選挙の植民地化である。両党による公認の有無が当落と直結するため、地域住民は選挙に背を向け、地方の政治家は中央政党の顔色だけを伺えば済むという、地方自治制度の壊滅的な瓦解が露わになっている。基礎自治体議員に出馬するには、二大政党から公認を得ないと当選しにくい(国民の力、共に民主党を除く少数政党(正義党、進歩党、緑の党など)の候補者が当選できない)のだ。また、多党制への選挙制度改編も両巨大政党がカギを握っているため、実現は期待しにくい。

 第二に、地域社会の内部に政治指導力を発揮しうる環境がないという問題が、今回、切迫性を持って浮上した。その一要因

として、地域メディアを活性化できなかった点が指摘されたが、筆者の考えではそれは付随的・外部的条件であり、むしろ地域社会に固有の課題が地方選挙の過程で政策公約化されるよりも、政党としての課題や全国的な課題が重視され、地域の課題が後景化してしまったという点が核心と考える。市立医療院の設立のような議題が地域政治にあまり存在しなかった。

 第三の問題として、旧都心の再開発に伴い、有権者の意識が保守化している兆しがあることだ。再開発が地域住民の階層構造を変え、有権者の政治選択を変化させるといった調査・研究について筆者は知らないが、そうした傾向は類推できよう。

 こうした三つの問題は、ある程度、互いに影響を与え合う関係にある上、構造的に地域で解決するには限界がある。そこで、今回の集会で一つの参考にしたのが日本における革新自治体モデルだった。

 

日本の革新自治体が城南市の地方政治にとってなぜ示唆的なのか

 

 以下はハン・ドングン院長の分析と提起である。1960年〜70年代、日本の革新自治体の成功と拡大は、地方政治の活性化を越え、中央政治を揺るがした。韓国の地方政治が中央政治によって植民化されたという問題は、当時の日本の地方自治の問題ともつながる。もともと日本の地方自治制度は占領国アメリカの影響によってかなり発展しており、日本国憲法によっても明確に制度化されている。しかし、中央政府は自治警察の廃止、教育委員公選制の撤廃、機関委任事務の増加と財政統制の強化などを通じて植民化を強化してきた。革新自治体は、このような中央の下請機関化を拒否し、真の地方自治の姿を演出し、地域住民を熱狂させた。

 むしろ地方政府の政策に中央政府が従ったと言えるだろう。まず、無秩序な開発路線を修正させた。そして公害防止や環境政策、福祉と関連した政策などは地方政府が先に施行し、中央政府が全国政策として採択せざるを得なくなった。

 美濃部都政(在任期間1967年〜79年)でこのことを具体的に見てみよう。美濃部都政は第一に「シビルミニマム」と中期計画、第二に福祉と公害対策、第三に対話と市民参加の三つに分類できる。シビルミニマムは高校増設運動や保育所の増設及び制度化など「都市生活の基本最低限」の施設と環境を整えることをいう。このシビルミニマムを満たすためには合理的で体系的な計画が必要なので中期計画が用意されるが、就任以前にすでに行政戦略が用意されていたのだ。また、美濃部都政の代表的な福祉政策は保育所拡充と高齢者医療費無料化だが、これは厚生省と医師会の反対を押し切って貫かれた。

 革新自治体はまた、地方独自の政治の場を積極的に作った。美濃部都政では、対話集会、都民室の設置、各種委員会に都民が参加するなど、住民参加の直接民主主義的な装置を積極的に導入し、地域の議題を生活政治という名前で発掘し討論し、政策的に解決しようと努力した。そうした取り組みが1980年代の「生活者ネットワーク」など地域政党実験の基盤を用意した。このような環境こそ、地域の政治力を育成する土台になるのだ。

 また日本のベトナム戦争反対運動では、従来の労働運動や政治的な理念運動とは異なる社会運動の主体とスタイルが生まれた。べ平連の運動には、最初に言い出した人が始める、他の人のすることにあれこれと文句を言わない、やりたいようにする、という三つの特徴がある。かつ、べ平連の「市民」は明白に「国民」に対峙する概念だった。また、彼らは「無党派市民」であり、自らを「生活者」と呼んだ。この生活者という概念は地域政党と生活政治との関連で重要な意味を持つ。日本で「生活者」という政治概念は1970年代後半以降に「生活者ネットワーク」が作られ実体化する。彼らは地方選挙にだけ候補を出し、地方議員を代表とは言わず「代理人」と呼ぶ。代表の特権化と間接民主主義の弊害をなくすという意味だ。ネットワークのメンバーは、代理人を議会に進出させるために募金とボランティア活動を提供する。

 こうした日本の生活協同組合の地域政党と地方自治への進出は、韓国の協同組合にも刺激となったが、韓国の生協では政治参加を積極的に行っていない。その理由は1999年2月に公布された消費者生活協同組合法第4条が、生協の政治活動禁止を規定しているからだ。また、「政党法」にある「5市道に地区党を持つこと」などの規定などが、地域政党の設立を阻んでいるためだ。したがって、地域の政治指導力が生まれ育つ政治空間が用意されなかった。いわゆる「城南世代」が地域の政治家として成長できなかったということなのだ。

 このように整理したあと、ハ・ドングン院長は参加者に次のように課題を提起した。

① 革新自治体モデルによって保守化を克服しようとする理念と実践が与える示唆点。

② 美濃部都政の事例のように「都政研究会」や「明るい都政革新をつくる会」のような長期的かつ合理的な地域政治へのアプローチが必要である。

③ 地域政治指導力の発掘と育成のためには、地域固有の政治領域を作ることが欠かせない。

④ 地域政治の中央党隷属は、制度的な限界である。革新自治体のように既成政党との共同戦線構築など、これまでとは異なるアプローチが必要だ。

⑤ 今回顕在化した新しい政治空白をどのように埋めるかについて深く省察する必要がある。

 

 上記の問題提起について参加者たちは、韓国社会、特に城南市の現実を考えるなかで、日本の1970年代革新自治体が準備される過程と実行された政策に対して深い共感を形成する機会となった。1970年代に行われた革新自治体運動がどのような成果と問題点を持っているのかについて、また、80年代以降、日本社会のなかでなぜ革新自治体が衰退したのか、引き続き検討していく予定だ。

 また、現在韓国社会で顕在化している極右、保守化、政治家のファンダム(特定分野に熱心なファンたち、あるいは彼らの世界)政治現象について懸念が示され、スイスの政治モデルを調べる機会を持とうという提案もあった。前城南市議会議長は、「現在の地方選挙の結果は、中央政党の影響を大きく受けており、地域政治の存在が軽視されてきた。この慣行を改善するためには、『地域の市民が幸せな道は何か』という話題を投げかけながら、市民が中心になって生活政治を作る過程が必要である。この過程で地方分権が定着していくことが何より必要である」と提案した。さらに、教育団体を代表して参加した女性は、「地域内の既得権益層を代弁してきた政治を断ち切り、社会的弱者と女性を代弁する政治が焦点化されなければならない」と提案した。

 これまで城南市民社会が培ってきた連帯と共生の経験を生かすことで、市民を組織化し、政治参加を通じて主権者としての権利を回復していこうと思う。今回の討論を契機に、生活政治と関連した多様なテーマの公論の場に市民を登場させること、市民のネットワークを組織すること、そして多様な階層から人材を発掘して育成し、課題を政策化すること。私たちの目の前には課題が山積している。

 そして50年前、日本の革新自治体モデルを作り出した人びととも連帯の輪を作って、城南市の課題を共有する同志たちと地方自治の再生に勇気を持って取り組もうと思う。日本の市民団体同志の皆様の多くの応援を期待しています。

 

●2023年1月 季刊『社会運動』(449号)全文掲載。