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論文(瀧 大知)

【2023年7月】「高齢者VS若者」という空虚な「線引き」

「大人」たちに向けた「告発」

「世代」は漠然とした言葉である。人びとの心をざわつかせ、対立的に語られやすい。筆者は、必ずしも世代間対立を否定しない。先行世代=「社会をつくってきた」/後続世代=「社会をつくっていく」という時が刻む「生」の差違は別様の倫理や責任を生成、そこからコンフリクト(対立)は生まれ得る。

 2019年に開催された「国連気候行動サミット」において、当時16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリは各国代表を激しく批判した。「あなたたちには失望した。しかし若者たちはあなたたちの裏切り行為に気付き始めている。全ての未来世代の目はあなたたちに注がれている。私たちを失望させる選択をすれば、決して許さない。あなたたちを逃がさない。まさに今、ここに私たちは一線を引く」(注1)

 気候変動の深刻さを真剣に受け止めない「大人」たちに対する後続世代からの「告発」であり、そこに世代間の対立/分断線を引いた彼女の演説が、「人新世」とも呼ばれる新たな時代の価値認識を打ち立てたことは記憶に新しい。

 

「高齢者の集団自決/集団切腹」

日本でも世代間対立的な言説はある。その一部は既得権益や世代間格差をキーワードに、「高齢者=持つ者/若者=持たざる者」という関係で社会を読み解こうとする。日本社会の停滞を「高齢者/老人が牛耳っていること」に求め、この解消が願われる。ときにはある種の「階級闘争」を彷彿とさせ、様々な表現/メタファー(隠喩)を用いて「高齢者(老人)」が「敵」として描写される。

 近年、インターネット上を中心に物議を呼び、差別的と批判された「高齢者の集団自決」発言はその典型であろう。同発言は、バラエティー番組でも活躍する成田悠輔(イェール大学助教授)によるものだ。インターネット番組「ABEMA Prime」で、「過去の功績を使って居座り続ける人っていうのが、いろいろなレイヤーで多すぎるっていうのがこの国の明らかな問題」と指摘、その解決策を「高齢者の集団自決、集団切腹みたいな事しかない」と述べた(注2)。

 成田は「集団自決はメタファー」という(注3)。しかし多くの高齢者が苦しい生活を強いられていること、沖縄における悲劇の歴史である「集団自決」を揶揄的に用いたことで批判が巻き起こった。一部の海外メディアも報道、所属するイェール大学のHPも「意見は個人のものであり、経済学部やイェール大学の見解を示すものではない」(2023年2月24日付)と追記した。

 

「若者よ、選挙に行くな」が失ったもの

 2023年4月の統一地方選挙前、お笑いジャーナリスト/Youtuberのたかまつななが投稿したCM動画「若者よ、選挙に行くな」(注4)も同様に、高齢者差別との批判を浴びた。本動画は、高齢者がカメラに向かって「今のままの日本が一番」「選挙なんか行かなくていい」と若者に呼びかけ、その方が自分たち(高齢者)の得になると語るという内容だ。

 たかまつは動画の意味を「若者が損しているから選挙に行こうと促すこと」であり、そのために「高齢者に悪役を演じて貰いメタファーとして作」ったとツイッターで説明した(2023年4月3日投稿)。

一方、若者に「悔しい」「怒りみたいなものを持って選挙に行くことを目的にして作りましたので、もともと対立を煽る」趣旨ではないとも述べる(注5)。自身の文章投稿サイトでは「権力者を叩く」ことが目的ではなく、「党派性を持たないよう」に配慮したとも書いている(注6)。この「対立を煽る」趣旨ではないという釈明は、二つの点で疑問である。政治参加に「怒り」などの感情を動員することは「対立」を促す手法であり、論理的に矛盾している。当然、その感情の矛先は「悪役」(=高齢者)に向けられるほかない。もう一つはそもそもCM動画の意義/可能性は「対立」にあったはず、という点である。

 当該動画は、2018年のアメリカ中間選挙時、ドナルド・トランプ(当時)大統領に対抗する団体が作成したCM動画(注7)を、たかまつがオマージュしたものだった。だが、アメリカのCM動画でメタファー(悪役)として登場するのは「高齢者一般」ではない。「アメリカを再び偉大な国に」することを夢想する「トランプ支持者」である。「白人」の「裕福」な高齢者が「若者は選挙に行くな」と呼びかけ、トランプが否認、加速させた経済格差や気候変動、人種差別、銃規制etc…の問題を「私たちには関係ない」と嘲笑的に語る。そして最後に「クソだと思ったら、投票を」と呼びかける。つまり「元ネタ」はアメリカ社会が抱える「病」を明示し、古い価値観との「対立」を促すことが目的だったのである。

 こうした元動画の意義(=対立軸の明確化)を、たかまつ版はスポイルさせた。結果、その可能性を喪失させているように思える。

 

「対立/分断」線にメスを入れる

 「高齢者/若者」図式は、確かに一定の説得力があるようにみえる。国会中継を点ければ、それが目の前に現れる。ただ、「高齢者」全体と括って良いのだろうか。一定の説得力を持たせるとき、思い浮かぶのはどのような景色か。「ガラスの天井」をつくってきたのは、果たしてどういう人々であったか。たかまつ動画は男性一人/女性二人が登場、一括りに「高齢者」と表象される。では、動画に出てくるような「(高齢)男性」の世話役を担わされてきたのは誰だったか。それは「(高齢)女性」ではなかったか。例えば、「日本を、取り戻す」と叫び、「出産女性の高齢化で少子化になった」と放言する政治家風の高齢男性とその支持者、あるいは新聞・テレビを見て政治に怒りながらも家事労働を「奥さん」に任せる「左派/リベラル」な高齢男性を登場させるなど、日本社会の「病」であり、人々の声を圧迫してきた「男性中心社会」を表現することもできたのではないか。

 高齢者全体を「既得権益者」のように描くことは、社会関係/問題を不可視化させてしまう。必要なのは、何を守り、何に抵抗するのかを明晰かつ明確にに「線引き」することである。空虚な「線引き」は、弱者/少数者を「排除」することにもなりかねない。さらなる「天井」づくりに貢献、「若者」の声をも家父長的、同質的かつ排他的な日本の政治/社会の前に掻き消してしまう。

 

(注1)『すべての未来世代の目はあなたたちに注がれている』東京新聞 TOKYO web(2019年9月25日配信)。

(注2) 「少子化ってダメなこと? 人口減少で60代が労働力の中心に? ひろゆき×成田悠輔」ABEMA Prime(2021年12月17日配信)

(注3)  「賢人論。『私が〝言ってはいけない〟ことを言う理由』」みんなの介護(2022年2月28日配信)

(注4) 【2023年ver.】(2023年3月22日配信)。

(注5) 「たかまつなな氏に聞く」阿部岳Tube(2023年4月18日配信)。

(注6)  「炎上中の選挙啓発動画『若者よ選挙に行くな』を作った訳」note(2023年4月5日)。

(注7) 「Donʼt Vote: A Knock the Vote PSA」ACRONYM(2018年9月24日配信)。

 

市民セクター政策機構客員研究員/外国人人権法連絡会事務局次長